お侍様 小劇場
(お侍 番外編 20)

     “どうせ数えるなら 倖いを” 〜馴れ初め編

             *露骨ではありませんが、BL的な描写があります。
              お嫌な方は自己判断でご遠慮ください。
 

 

        




 何か聞こえたか、それとも黎明が動いた気配でも拾ったか。いやいや、体内時計とやらによるものだろか。

 「…。」

 ふっと意識が覚める感触は、いつもいつもそれは軽やかで。やさしい静謐、暖かな寝床。柔らかい寝具にくるまれている安心感と、それから。誰かの寝息や温もりがたいそう間近にあることへ、誰かの懐ろにい抱かれていることへ、気づくと同時に、

 “…。/////////

 甘やかで切なくて何とも言いがたい、言いがたいことが歯痒くてしようのない気分を、そう…これ以上のそれはなかろう“至福”をじんわりと噛みしめる。朝 目覚めて一番に目に入るもの、一番最初に感じるものが大切な御主だというのが、もはや数え切れないほどの毎朝お決まりなことだのに、七郎次にはいつだって、嬉しくて嬉しくてしようがない。季節によってはカーテンの外もまだ暗く、お顔を見やることなど出来やしないとしても。寝間着越しの温みや筋骨の堅さの感触が、その存在を雄々しきお姿の輪郭をあっさりと想起させ。穏やかな寝息の気配やゆったりとした胸元の上下の様が、健やかにお眠りであることを伝えてくれて。それらを感じ取れたことから、今日という一日の“倖い”を数え始める彼であり。

 “良くお眠りだ。”

 昨日のお勤めの疲れは残ってないようだなと安堵し、ほんの少しだけ、この優しい静謐の刻を堪能する。先日、衣替えに合わせて家中のカーテンも夏のそれへと取り替えたので、窓の外の明るさ、黎明の終盤の白っぽさが透けて見え。そうまでの明るみのお陰様、勘兵衛の寝顔もその造作が十分見通せるほどだったりし。少しほどこちらの方をとお向きなせいで、頬から流れて来てお顔へかぶさりかけていた長い御髪
(おぐし)の流れを、そぉっと持ち上げた指先で耳の向こうへと追いやって。そうしてますますのこと、よう見えるように晒されたお顔を、無二の宝物ででもあるかのようにただただじっと見つめやる。
“…。”
 眼窩や頬骨などがやや張って、彫りの深い精悍なお顔立ち。あの、印象的な濃色の眸を伏せておいでで、間違いなくのおやすみだというのに。なのに…何かしら深慮に耽っておいでなお顔にも見えるのが、七郎次にはいつもいつも不思議で。気難しいご気性でもないのにそう見せねばならぬことの多かりしお立ち場が、こんなお顔にしてしまったものか、それとも…無心な眠りに沈んでおいでだからこそ、誰へも何へも気を張らぬでいい時だからこそ、ご自分の裡へ裡へと伸び伸び泳いで行かれての結果、沈思黙考というお顔になってしまわれるのだろか。
“…。”
 このお年頃までに様々な難儀や我慢を噛みしめて来られたその口許の、意志堅く引き締まった凛々しさはどうだろう。顎にお髭をたくわえられたのは、お若いうちからのことだったので余計に、随分と長いこと年齢不詳で通っておいでだが。それを…自分の視野のほうへと手のひらで覆うようにして退けてみると、驚くほど若いままな面差しをなさっておいで。案外と繊細な面立ちをなさっているのを隠すため、伸ばし始めた勘兵衛様だったのだろか。畏れ多くもこの手で触れて、戯れ半分、撫でて差し上げるそのたびに。訊こう訊こうと思うのだけれど、

 「〜〜〜。////////

 昨夜はどうだったかと、思い出そうと仕掛かったところが。その手を捕まえられ、この悪戯者がと引き寄せられて、そのまま逞しい胸元へと掻い込まれの…それは優しく愛でていただいたことをまで思い出し。ほどいたままの金絲の髪の陰にて、あわわと頬を染めたまま、あたふたと寝床からすべり出る。いけないいけない、とっとと支度にかからねば。甘い余韻に ぼうと腑抜けていたのでは、朝のお支度が遅れてしまう。熱くなりかけた頬を押さえつつ、そこから降ろした手が触れた、パジャマの胸元、少し大きめに開いていたのに気づいて…ますますのこと赤くなりながら。それでも足音を忍ばせるのは忘れず、そぉっとそっと寝室を後にする。

  ―― それから、ほんの数刻ほどの間をおいてから。

 しばらくは戻って来なかろと、そっとその眸を開いた勘兵衛で。これからざっとシャワーを浴びて寝汗を流し、髪を乾かしながら、一階のあちこちを見て回り、カーテンを開け、時期によっては窓も開けて空気を入れ替えて…と。一日の始まりにあたっての、最初の家事に手をつけ始める七郎次だと知っている。どんな夜を過ごしても、決まった時刻になると自然と目覚め、今のようにスルリと抜け出してゆき、朝支度に向かう彼であり、

 “随分と落ち着いたものだの。”

 この家での同居が始まってからを数えても、十年となろうかという定番の“日常”であり。家のことを全て、何もかもを任せて頼もしい家事上手であり、今やなくてはならぬ供連れ、いやいや そのような瑣事をおいても、もはや他には譲れぬ愛しい伴侶。そう、家の雑事のあれこれなぞ、こうまで覚えてくれなくとも良かったのに。何もしないで ただ綺麗なまんま、ちょっぴり覚束ないところの多かりしな彼なまんま、自分の帰りを待っててくれるだけでいい。帰りが遅かった晩は、寂しかったと怒ったり詰ったり、ちょっぴり拗ねたりもしてくれればいいと。そんな心積もりで、駿河の実家から呼び寄せた彼は、なのに…相変わらずに及び腰で、しかも骨惜しみを知らない働き者だったから。学業を最優先にしなさいと言い置いたのにも関わらず、そこへと重ねて勘兵衛からの構いつけだってあったのへも応じてくれつつ。家事の完遂をと構えてかかって、それをほんの半年足らずで身につけてしまった頑張り屋さん。しっかり者だというのは重々知っていたが、何もそうまで気を張らずともと思ってのこと、家事なら専門の業者に頼めばいいと何の気なしに言ったところが、
『………。』
 青玻璃の双眸を潤ませての、今にも泣き出しそうなお顔をされたので。無神経な自分をひどく反省したのも今となっては懐かしいばかり。

 “昔はそれでも、も少し初々しかったものだがの…。”

 しっかり者のどこが悪いやら。名残りも未練も残さずに、ちゃっちゃと起き出してってしまう恋女房の背中が遠ざかる気配、眠った振りして見送るたんび。ちょっぴり頼りなかった頃もまた格別に愛らしかったのにと、我儘なこと、ついつい思ってしまわれる御主であるらしい。


  やっぱり微妙に鈍感ですかね、勘兵衛様。
(苦笑)






  ◇  ◇  ◇



 まだ物心もつかない年頃の子を連れて、半ば家出か失踪という出奔の仕方でその行方を晦ました妻らの消息を掴めぬままに。諏訪の支家の家長だった七郎次の父は…務めの上でのこととて若くして亡くなってしまい。それからどのくらいかかったか、やっと見つかった七郎次は、そちらは心労からの病に倒れてやはり亡くなっていた母御の遠い親類にあたるという家に、扶養補助がおりることと、先々で父方の誰ぞが迎えに来たときにせいぜい養育費をむしり取ってやろうという目論みとから引き取られ、虐待に近い仕打ちを受けつつ、日々を過ごしていて。
『何を喚こうと聞かれはしない。
 この子へ何をして来たか、いやさ、何をどれほどしないままでいたかを、
 天下に晒されたら困るのはそちらではないのかね。』
 その一喝にあっさりしおれた者共を、顧みる価値も無しと二度と振り返ることもなく。直々に抱えて連れ去って下さった、勘兵衛の父、当時の惣領殿が武勇とその勇姿、きっと生涯忘れぬだろうと七郎次はいつも口にしていたものである。そのとき既に小学校の三、四年生にはなっていたのに、ほとんど学校へも通っていなかったということから、引き取ってすぐは養生もかねての家庭学習で年齢相応の学力をつけさせたのだが、それが丁度、勘兵衛が二十で大学生だった頃のこと。十も年の差のある幼くて小さな義理の弟に、よもやのちのちこうまで深い懸想をしようとは思いも拠らぬまま、両親がそうしていたのと同じようにただ“可愛い、可愛い”と構いつけていたのだが。今にして思えば、慎ましさが過ぎてのどこか及び腰な彼であったことから、こちらからこそ手を伸べ、身を乗り出すことが随分と多くて。凭れておくれ甘えておくれと、間近へ懐ろへ引き寄せたり掻い込んだりを頻繁にしたがため。愛らしくも端正なお顔や印象的で端麗な双眸を、ごくごく至近で見ることとなる機会がそれはそれは多かったし。手繰り寄せたまだ小さかった身の、何ともしなやかで頼りなく。一旦抱きすくめてしまうと、ついのこととて そのままずっと、手放し難く感じたほどに、儚くも脆そうな重みや感触であったので。当初は、幼い者か弱い者へと誰もが感じる、これが庇護欲というものかと、じんわりほのぼの実感していただけだったのだが。学業の合間に帰省するごとという、間を空けての接し方は、成長期の和子がどれほどの加速をつけて、その身を伸びやかに育んでゆくかをまざまざと勘兵衛へと見せつけて。逢うごとに背丈が伸び、寸が足りなかった腕や脚がすんなりとしだして。伸びてそろえた金絲の髪が縁取る表情が繊細になり、瞳の色合いが深みを増し、謙虚な口許が含羞みもっての無を紡ぐたび、それは蠱惑な色香を含み始めたようにも見えて来たものだから。

  ―― これはいけない、自分は何を考えているのだろかと。

 慌てふためいてしまったその結果、就職を機に家へ戻らなくなった時期があって。真の生業、お役目から世間を欺くための代物だ、全身全霊懸けるまでの必要なぞ、実を言うとなかったのだが、七郎次がそんな辺りの事情をまだ何も知らなかったのをいいことに、仕事にかこつけ、丸1年ほど戻らずにいたところ、
『私がいるから、勘兵衛様は戻って来られないのでは。』
 両親を横取りしたと思われていて、それで嫌われているのだと。それこそとんだ誤解をしたまま、彼が家出をしかかったとの知らせがあって。大急ぎで顔を見せにと帰ったが、中学生という多感な頃合いの真っ只中にあった弟は、よほどのこと母御に似たか、どこも骨張らずの嫋やかに成長していて、ますますのこと勘兵衛をたじろがせてしまったものである。


 その後、両親がお役目がらみの奇禍に遭って早逝してしまい、跡取りを見せてやれなんだ親不孝を嘆いても遅く。実の親御を亡くしたかのように泣き続け、そのまま消え入りそうなほど憔悴しきっていた小さな弟を、励まし支えることで自分をも支え。島田の家を継いだと同時、この世に二人きりとなってしまったこの家族をどうあっても護ると、心に誓って…どれほど経ってのことだったろか。勤め先が東京だったことと、実家を隠す必要もあったので、やはりあまり頻繁には傍らにいてやれなかった、そのどこかの逢瀬の中で。そうそう逢えない寂しさからだろう、やっとのことで遠慮が薄まっての、自分からも擦り寄っても来るようになっていた少年へと。こちらからもつい、可憐なところが愛らしいとの構いつけ、髪を撫でたり頬を撫でたり、手を伸べての触れてしまうことが増えていて。慕ってくれてか嫌がりもしない、武骨なばかりの手のひらを頬へと当てれば、それはそれは大切そうに、自分のやわらかな両手を上からそおと重ねて伏せてくれる所作仕草が、何とも言われず愛おしく。
『先代様と同じ匂いが…。』
 時にそのようなことを思い出すのか、寂然としてしまう薄い肩を抱いてやり。戯れ半分に重ねたことで、その口唇のやわらかさを知り。どんどんと距離が狭まるそのうち、互いのことをもっともっとと求めるようにもなってゆき。殊に、七郎次の側からは、そこにだけは相変わらず“自分のようなものが畏れ多い”という遠慮が挟まっての物怖じが出て、今更の萎縮を見せることがあるものだから。却って勘兵衛の側からの手が延べられ、引き寄せることが多くもなって。麗しい風貌のみならず、どれほど優しく慎ましい気性をしている彼か、そこへと加えてどれほど気丈で我慢強くて頑張り屋であるかもよくよく知っている。同性同士であることも、戸籍の上でのみならず血が近い間柄であることも含め、なさぬ仲なのは今更な話。もはやそんなことは何の障害にもなりはせぬほど、気がつけば…その温みや困ったように微笑う細おもてのお顔を、どうにも手放せぬようになっていて。
『…。』
 ある夜、とうとう半ば強引に閨房へと引っ張り込んだものの、気丈な彼でもさすがにこれは堪えたか、声なくすすり泣かれたのには往生し。土下座してでも謝ろうと思ったところが、
『どうして、お気づきになられたのですか?』
 勘兵衛様へと浅ましくも淫らな想いを抱いていたこと、気がついていての諌めておいでなのでしょう?と。表へ出してはならぬと、生涯懸けてでも秘めておくつもりでおりましたのに、とうに露見していただなんてと。それで泣き出した彼だと判って、
『…シチ。』
 黄昏のような色合いの灯りの中で、居たたまれぬと裏返した手でお顔を覆っていたのをそおと退け。淡い明かりの下に浮かび上がった白い頬や、今にも涙に蕩けそうなほどとなって潤んでいた瞳が。まだのしかかりはするまいと、シーツの上へ突いていた自分の手の陰になっていた小さな肩が。羞恥心から消え入りそうになって震えていたのが、もはや愛しいばかりの想い人。怖がらせぬようにと そおっとそおっと。熱を帯びた息遣いや切れ切れの悲鳴が痛々しいと、時折手を止めてやっては、波が落ち着くのを待ってやり。まだまだ覚束ぬ身の彼をやさしく導き、情をそそいで睦みを紡いで。初めての感覚に攫われ、達してのそれから、

  ―― これが夢なら どうか起こして下さいますな、と。

 そんなかあいらしいこと、熱に掠れた小さなお声で呟いたそのまま、すうと眠ってしまった愛しい人に。無理強いの凌辱となっての恨まれ嫌われるか、それとも従属という形での寒々しい触れ合いしか望めぬ間柄となるか。それでもいいと思い詰めての力づくから転じてのこの蜜夜。勘兵衛の側こそ そりゃあ救われたのは言うまでもなく。初めて覚えたそれだろう、甘やかな疲労にくるまれて安らかに眠る、まだまだ青い情人へと、優しい眼差し、飽くことなくそそぎ続けた彼だった。







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  *後半は久蔵さんのご登場です。
   実はそっちこそが今話の本題だったのは、
   ここだけの話ですので、よろしくお願い致します。(何をだ・笑)


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